責任 | to the sky

責任

今日はイスラム教のラマダン(断食)の最終日なので、ユニセフも休みだった。色々計画を立てていたのだが、なんか、インドに来てからの疲れがどっぷり出てしまい、一日中ほとんど寝てすごした。そう、思えば、月から金は、張り切って仕事に行ってたし、休日は休日で、早くインドになじもうと、朝から町に出てきょろきょろ動いていたりしたから、ゆっくり朝寝て過ごすってことがまずなかった。だから疲れちゃったみたい。夜更かしをしたせいもあるけれど朝も起きられず、11時ごろのそのそ起きて、ご飯を食べてまた疲れて、また昼寝をして、また5時ごろ起きて・・・という一日を過ごして、ようやく、体の疲れもとれたという感じ。ふぅ。やっぱりお休みは必要だわ。週のど真ん中に今日の休みがあってくれて本当にラッキーだったと思う。朝起きないなんて事がない私をみんなが心配しちゃったよ。ごめんなさい。。。

インドにいると、まじめな話、日常の至るところに「本で読んだ」現実が潜んでいる。今日もふと、仲良くなった人と話をした。彼女はどうみても、30代前半。結婚していて子どもがいるというので、「お子さんは何歳なの??」と聞くと、「20歳よ」という。「え。。えええええ???って◎◎さん、何歳??」って聞くと、35歳。結婚したのは14歳のときなんだって。私が「結婚って楽しい?」って聞くと、「うん、幸せよ」と本当に幸せそうに話していた。彼女にインドの服(サリー)の仕立て方のことを聞いて、その詳しい名前が知りたかったから、スペルを聞こうと思ってメモを出して、「スペルを教えてくれる?」と言ったら、彼女は、字が書けませんでした。無神経なことをしちゃったなあと自己嫌悪になりました。

14歳っていえばだよ、やっと、思春期を迎えたころで、男子達に「ハヤシ~お前胸ねーなーぁ」(うるさい!!)とか言われながら、青いジャージを着て、友だちと寄り道をしながらバレンタインデーはどうするか、そんなことで頭がいっぱいだったころ。そんな時に、自分が「一生の伴侶」として、20歳くらいの兄ちゃんを目の前にいきなり「結婚することになったから」って親に言われたらどんな気持ちになるかなあとふと想像してみたけど、想像できなかった。

彼女の娘さんは今大学生で(高等教育を受けさせている)、親として、結婚を用意したりはしないといいます(つまり、自由な恋愛結婚をしてほしいと思っている)。彼女自身が自分の人生をどう考えているのかはわからないけれど、娘には自分と違った人生を歩ませようとしています。

インドに来て、日常生活で感じるのは、ここには、見えない壁が存在していて、生まれた家の階級で、つける仕事や、結婚相手、食べられるもの、身に着けられるもの、何もかもが決まるということ。カーストは法律で禁止されているけれども、階級は目に見えません。自分より一つ上の階級の人が自分を使い、その自分はそのまた一つ下の階級の人を使うのです。この階級の階段が永遠と続いていくのです。そして、どこにも行き場が無い人が物乞いになります。

2ヶ月先の人生がわからないとか、誰が好きだやれ彼が好きだとか、失恋した滑ったのだとか、就職が決まらないだとか、お金がないだとか、仕事が大変だとか、職場の同僚がどうたらこうたらだとか、私たちは文句や不満はたくさん並べられるけれども、でも、それは、私たちが自分で選んできたこと。わからない人生も、どうしようもない彼氏も、大変な仕事も、自分が選んだことです。そして、変えようと思ったら、何だって変えられるはずです。自分さえ動けば。自分さえ変われば。

幸せと言うのは、人と比べるものではありません。
それでも、幸せだよと笑って言える彼女がまぶしかった。

人生辛いなあと思うこと、悲しいなあと思うこと、あるけど、自分で選んだんだから、自分で責任取れよと、今日は自分にいいたくなりました。そう、そして、何かや誰かと比べて「自分は幸せだ」と思うのじゃなくて、もっと、自分の幸せを絶対的に感じられる心を持ちたいと思うのです。

もうすぐ27歳になる自分への戒めとして。


町の一角。道路左側はスラムです。