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銭湯

家の改修工事のため、最近は毎日近所の銭湯を利用している。ここは、昭和の香りが漂う本当に昔ながらのお風呂。(富士山の絵がある)

ここに通うようになってから、地元のおばちゃん、おばあちゃんたちの生活ぶりがわかり、新しい世界が開けていくようで、毎日楽しい。値段も300円!驚きの価格です。

先日会ったおばあちゃんなんて、自転車で片道20分以上かかるところから、一人でここにほぼ毎日通ってるとのこと。いつまでも元気でいてほしい。

あったかいお風呂に、おしゃべりできるコミュニティに、お風呂からでるマイナスイオンにーどんだけこの銭湯は地元の皆さんのパブヘルに貢献していることだろうといくたびに思う。

こういう文化が大事にされる日本であってほしいと思う。

で、おまけですが、フムフムと皆さんのお話を聞いている私は、おばちゃん、おばあちゃんたちから「うちの嫁に」とモテモテなのであります (笑)私みたいな気ままで気の強い嫁は大変ですよ~ (笑)

今日もお風呂いこーっと。


iPhoneからの投稿

BRIDGE (橋)

High Risk epidemiologyという、公衆衛生の中で、リスク(健康を阻害する度合い)の可能性が高い人たちにどのように介入したらよいかという授業を取っている。扱う分野は、アルコール、薬物、性交渉、自殺、いじめ、などなど幅広い。

他の授業でも自殺についてレポートを書いており、今回はメンタルヘルス(精神保健分野)の学期と名付けてもいいくらい。

クラスメートに勧められてBRIDGE(ブリッジ・橋)という映画を見た。
サンフランシスコにある、ゴールデンゲートブリッジという大きな橋での話。日本語では「金門橋」と訳されるらしい。ここは自殺の名所として知られている。ここに一年間、カメラを設置し、海に飛び込み自殺をする人やその周辺の人々(家族)を追ったドキュメンタリー。24人が2004年に飛び込み自殺を図り、そのうち1人が助かった。橋の高さが66メートルにも上るため、致死率は98%と言われている(確認されているだけで過去972人の飛び込みがあり、助かったのは19人と言われている

自殺の対策の一つに「means reduction」(自殺の手段を減らすこと)ということが挙げられる。男性の自殺手段の一位が銃であるアメリカでは、例えば、銃に規制をかけたり、日本でいえば、地下鉄のホームに壁が設けられたりなどが例である。限られた自殺対策への資金の元、この自殺の手段を減らすことでどれだけの効果があるのかないのか、また、ないとしたら他にどのような方法があげられるのか、どのような手段を組み合わせたら自殺率は減るのかなどが、授業の焦点である。

この授業ではディベート(賛成派と反対派に分かれて議論を戦わすアメリカらしい授業)が行われた。
「自殺の手段を減らしても、自殺をしたい人は何度でも繰り返すからそこに意義はない」という主張と、「自殺は、衝動的に行われるものだから、手段を減らすことで、自殺で亡くなる人を減らすことができる」という主張を戦わすために、双方が色々なところから「エビデンス」(証拠)と言われるデータなどを持ちより、議論する。

映画内では、24人の死(1人は未遂)をめぐって色々なストーリーが展開される。
自殺者のことを一時も忘れられない家族や、止められなかった自分を後悔する友人たち、何度も自殺したいと言う自殺者を最後は「もう構ってられない」とほおっておいたらそれが最後の留守番電話のメッセージだったと話す証言者。死んで楽になったからそれが一番よかったんだと話す者。

「自殺を実際にする人と、思いとどまる人の差って、すごく曖昧だと思う。死にたい、消えちゃいたいって思うレベルの辛いことはたくさんあるけど、ある人は、次の日太陽が昇ったら、今日は昨日とは違う日がやってくるんだから、って思える人もいれば思えない人もいる。なんだろうって思う」と話す人の言葉が印象的だった。(訳は全て私)

自殺をした人の声を聞くことはできないから、本当に本当に彼らがどう思っていたのか、何を考えていたのか聞くのは難しい。でも、生存者の声などを文献上たどると、「本当は生きたかった」という結論にたどり着くことが日米共に往々にあり、「自殺の手段を減らす」ことが、衝動的な自殺意図を減らす大きな方法の一つであると言える。でもこれだけでは解決はしなくて、何度も自殺企図を考える人に向けての対策も必要である。手段を減らすことが対処療法だとしたら、原因療法としての精神医療やメンタルヘルス、普及啓発の充実も合わせて行わなければならない。

不思議だったことが、
映画の中では、カメラを設置しているので、橋を行き交う人々が色々映し出される。
その中でも、「あれ、この人なんかおかしい。自殺しちゃうんじゃないか」って人は、全てその通りだった。テレビの画面を通してでも、「なんかおかしい」みたいなことがわかる。でも、案外、その友達の証言などでは「9年間彼を知っていましたが、彼がうつだと知ったのは半年前のことでした」みたいな、「(彼がそんなに悩んでいるなんて)今まで気づかなかった」ということがあったりする。

真剣に見よう、見抜こうと思ったら、何かおかしいと思える彼らのサインは、見抜けるのかもしれない。一方で、自殺したい人は、迷惑をかけたくないとの思いから必死で隠そうとするのかもしれない。そのようなやり取りの中で、彼らが少し、ほんの少し出すかすかなサインを見抜けないほど、人は自分の生活で精一杯な時もある。見ぬけたとしても、これ以上関わったら自分が持たなくなってしまうという恐れを持つこともあるだろう。映画では、「これ以上彼に介入したら、自分の(精神的な)限界を超えてしまうかもという恐れもありました」という友達の声など、とても正直な声が集められている。

このギャップをどう埋めたらいいのか。助けたいと思ったのに自分が助けられなかったという思いを抱えて生きる人、迷惑をかけたくないから友達に話せなかった人。パブリックヘルスの意義はそこにある。この手の届きにくいところに、どう手を差し伸べるか。

とても勉強になる映画だった。

最後に、英語になるけれど、自殺手段を減らすことについて深く考えさせられたニューヨークタイムズの記事

ちなみに、ゴールデンゲートブリッジは、自殺者が多いため、夜間の歩行禁止や自殺対策の啓蒙活動などが行われている。防護柵を設けることも検討されたが、費用がかかったり、柵を設けることで暴風時に影響があること等が懸念され、防護柵設置には至っていないとのこと。※

前のはないろでも書いたが、
自殺は、感染症(エイズ)や慢性疾患(がん、糖尿病などなど)色々な死因の中で、世界でトップ20のうちに入る死因となっている。この45年の間に、自殺で死ぬ人は60%も増加しており、性別や国、年代によっては、トップ3の死因に入ってくることもある。(WHO)
日本では、悪性新生物(がん)、心疾患、脳血管疾患、肺炎、不慮の事故、につぐ、6番目の死因にあげられている(平成18年度人口動態統計) 老衰や、腎不全や。肝疾患よりも、多いのである。この事実に向き合わないといけないと思う。


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到着。

長いフライトだった。シカゴで飛行機が遅れたため、約24時間かかってボストンに到着。ついたのは夜中の2時だった。

そのまま友人宅で眠る。
次の日は、お昼から動き出し、学校の事務処理、家さがし、などなどやりはじめるも、17時くらいになって急な眠気が訪れて、立ったまま眠りそうになる。ZZZZZ

ずっと休みもなかったし、フライトもハードだったので、疲れてるんだな~と思い、今日はこれにて活動を打ち切り。友人宅に戻って、「お昼寝するね~」と言ったまま、朝の6時半まで眠り続けた。ふぅ。なんとなく、体が軽くなった感じ。

今日は家さがしがんばらなくちゃ。
いい物件に出会えますように。。

腐らない野菜

古くから私を知る人は驚くかもしれないけど、最近の私の聖域(これがないと元気が出ないもの)のひとつは料理でもある。

外食になる週何日かを除いては、家でのごはんは、マクロビオティック。玄米をなべで炊き、菜食、実家で作った味噌を使った味噌汁などなど、めっちゃくちゃヘルシーである。週5日のうち、最低でも3日は弁当を持っていくように心がけている(節約と健康のため)。遅く帰ってきても、お手製の味噌汁とご飯で夕食を取るようにしている。コンビニとかで昼を済ませてしまったりした日は特に。

昔は、私は、本当に疲れやすかった。のだが、この玄米食を始めてから、見てのとおり、睡眠時間が少なかったり、めっちゃハードみたいなことをしても、疲れにくくなった。そして、肌のハリがいいし、体調がいたってよいので、その効果をかんじている。そうでなければ、今の馬力のままこの仕事を続けるのは難しかっただろうと心底思う。マクロに出会えてよかった。

それはさておき、最近ぞっとすることは、野菜が長持ちしすぎることだ。
実家のおばあちゃんちでは、完全に無農薬の野菜を育てているので、実家から送ってもらったり持って帰ったりする。

祖父母のうちで取れる、完全に農薬を使用していない野菜は、冷蔵庫に入れておいても、長くもって、5日でだめになる。時には3日もするとふにゃんとパワーがなくなる。
近所のスーパーで売っている、「無農薬」というシールのついた野菜は、1週間は持つ。
さらに、近所のスーパーで売っている、何もついてない「普通」の野菜は、2週間以上冷蔵庫の中で生き続ける。

恐ろしくなって、今日は、二週間以上冷蔵庫の中で生き続けた白菜をごめんなさいしてゴミ箱に捨てた。

中国の餃子の話とか、食で沸いている日本。自分の口に入れるものは、自分で納得したものを選びたい。でも、東京では、本当にそういった「基本的な」ことが難しくなっているんだと思った。



God helps fools and babys

プライベートで超あほなことをしでかし、自分のまぬけさ加減にいい加減、久々にびっくりした。

あまりにまぬけなので、詳細は差し控えたいのですが、ぼーっとして大金を無駄にしてしまい、親友Yより買い物禁止令が下されました。これから私と遊んでくださる皆さん、申し訳ないのですが、私、超金欠です。。。。お金をかけずに遊べるものを提案してくだされ。。。

というわけで、これを知る友達たちは 「はならしい。。。。」と一斉に大笑いでした。

God helps fools and babys(神様はばかと赤ちゃんを助ける)という言葉があるとアニが言うので、
「じゃあ、私はBabyだから、いつも助けてもらえるのね!」というと
「No, you are FOOL!!」(ちがうよ ばかだからだよ!(赤ちゃんじゃないの!))

と言われました。
この事件勃発後一人で抱えきれなくなった私はアニに電話したのだけど、応答メッセージが留守電になってしまったの。どうやらそこに吹きこまれた私のメッセージが相当ウケタらしく(何言ったかおぼえてない)、「はなのメッセージおかしいから一日中聞きまくって、まだ電話にいれてあります」とメールに書いてあった。。。何をしゃべってるのか聞いてみたいものだ。

ほんと笑った。

お金持ちになったらお金を払ってでもお願いしたいもの→秘書 あーもうほんとだめだ。。。ぼーっと考え事するか、何かに夢中になってるといつもこう!

何をしでかしたか・・・知りたい人はメールくれればこっそり告白します。

本棚格闘。

内面に自信が出ると、外を防具で固める必要がなくなるから、人って穏やかになるだなあと この週末感じた。人といるときに感じることというのは、目に見えないけど、確実にあって、面白いなあ と思った。

さて、今週末。
おうちでやることリストが20個くらいあり、それを一個ずつ頑張ってみた。でご褒美として夜出かけるという流れ。(例 本棚を組み立てる とか、ドレスをクリーニングに持ってく とか ささいだけど、まとまってくると時間がかかるもの)

で、肝心の本棚は、取りかかり から7時間もかけて(正式に言うと2日かけて)完成した。人間は得意不得意があることを痛感。。。。ねじ回しとか、ほんと苦手だわ。。。

半分組み立てたら疲れちゃって、寝ちゃって、また起きて、組み立てて、寝ちゃって、を繰り返し、午後5時にようやく完成。
その後、友だちとご飯を食べて、一日、本棚と格闘したことを伝えたら大笑いされた。だって苦手なんだってばー こういうこと。。。
やることリストがまだあと10個も残ってるのに、もう日曜日終わっちゃった!

でもやること頑張った週末は、少し自分を褒めてあげたくなった。
明日は早起きして また弁当を作ろう。

幸せの充電

今日はほんと、自分がいけてなかった。
超イライラしてしまった。
道がわからないのにわかったといってそのまま走るタクシー(最終的に誤解が原因だった)。郵便物を送ったのに確認が出来ずちゃんと届いたかわからなくなっちゃったインドの郵便システムと郵便局のおじちゃん(最終的に判明した)。15分後に電話するといわれたのに1時間たっても電話がかかってこない会社(最終的に催促してかかってきた)。

時間の流れがゆったりしているなら、郷に入れば郷に従えで、インドの流れにあわせて私が余裕をもたないといけないのに、「日本だったらありえん!!!」と思ってしまい、なんだか今日は午後から超イライラしてしまった。

最後にのったタクシーで、「私が言った道と違う!」って冷たくしちゃったおじちゃんが私が下りるとき、申し訳なさそうに自分が運転席から降りて扉を開けてくれたとき、自分の父親くらいの彼の顔を見て、自分がイライラしたことで胸が痛くなったのは、私です。意地悪なことしちゃった。神様ごめんなさい。おじちゃん、ほんと、ごめんなさい。一生懸命探してくれたのに。

超反省。
みんなが優しくしてくれるのに、イライラして、せっかくそういういい気持ちを自分で壊してしまって馬鹿だなあと思った。

そんな私でも、いますごく支えられているのは、先月に引き続き、温かい家庭の皆さんと一緒に暮らせてるってこと。思えば、私のうちは6人家族プラスわんちゃんもいて、近所にもう一家族(父方の祖父母)も住んでいたから、8人の家族が一緒に住んでいたようなもの。常に家に誰かいるというにぎやかな家で育った私なのですが、18歳で地元を出た後、まともに家族と暮らしたことがありません。本当は、けんかしながらも、にぎやか家族が大好きなのに、物理的な環境がそれを許さず、海外にも出たし、1人が多かったから、心細いなあ、寂しいなあと少なからず思ってた部分があったのだと思います。無意識のうちに。

今日、おうちに帰って、新しい5歳と3歳のぼっくんが「おねえちゃん、おかえり~だっこだっこー」と言って迎えてくれて、そんな彼と彼ママの温かい笑顔を見たら、イライラしてた気持ちとか自己嫌悪とか全部吹っ飛んで、ストレスとか、全部なくなりました。私には、多分、愛の充電が必要だったのだと思います。あったかい家庭って、こういうものだったんだよなと。

久々に「おかえり」って言ってくれる人がいるところに帰って、なんか、とっても嬉しかったのでした。オレンジ色です。

今日は更に、新しいぼっくんから「一緒にお風呂はいろー」と言われて(笑)私が1人でまじに照れてしまいました。急なラブコールにどぎまぎ(笑)。最終的にはママの「(子どもが出来たときの)練習にいいわよ~」という一声に乗って、今度週末に一緒にお風呂に入ることにしました☆何して遊ぼうかね。で、「一緒にねよー」とも言ってくれたんだけど、お姉ちゃん、おうちに帰ったら帰ったで別の仕事をしなければなので(一緒に寝たら多分私がぐーすか先に寝ること必須)、今日はお預けで、これも週末一緒にねんねしようねということで、お約束をしたのでした。一緒にいてあげたいのにいてあげられないことのつらいこと。。多分、私がこのまま働きながら子どもを持ったら、そういう気持ちをたっくさん味わうんだろうなと思いました。

とにかく、あったかい家庭は、仕事の原動力なんだということを、心の奥のほうから感じています。今日は、みんなが、私の誕生日のお祝いもしてくれました。

インドに来て、1人で暮らすのかと思っていたから、それなりに孤独と言うものにも耐えないとと覚悟してたんだけれど、先月に引き続き、こんなに温かい家族の皆さんと接することが出来て、神様は、キャリアとともにもう一つ考えないといけない大事なことを教えてくれているような気がします。これは、絶対に偶然じゃない。

小さいころから、にぎやかで、時にはにぎやかすぎるくらいの家で育ったから、それが当たり前で、最初は1人になって自由でいいやーって思ってたけど、今になって、それが、本当にprecious(大切)で、wonderful(素敵)で、amazing(すごい)ことなんだということに気がつきました。そのパワーが与える力は無限大です。

新しい家族の皆さんと、そして、相変わらず日本から支えてくれる家族に感謝。私も、あったかい家庭をつくろうと思います。大事なことを教えてくれて、ありがとうね。

誕生日

そんな感じで、あっというまに出張が過ぎました。
ほんとは、出張は色々変更があり8日までの予定だったのだけれど、急に、もう一つのプロジェクトが延期になったので、結局4日、今日の深夜にデリーに戻ることになりました。

最終日は、バンガローに戻り、NGOと短い話し合いをし、その後、飛行場に向かったら乗る直前に「はな、予定変更よ!デリーに戻ってきて」と電話があり(笑)、「でも、私の荷物、もう、ハイデラバード(隣の州)行きの飛行機に積んじゃったし、私もあと5分で搭乗なんです・・・」ということで(笑)引き換えせず、とりあえず隣の州にいって、そこのユニセフの職員の方と話をし、デリーに夜中の1時に戻ってきたのでした。

これまた最後までばたばただったけど、実は、その偶然いったとなりの州の職員の方との話し合いが、とってもよくって、何もかものタイミングにラッキーだったなあ!と感謝しまくり。あと15分早かったら、その方とも会えずにデリーに戻って旅が終了していたわけだから、よかったなあと思ったのでした。

で、そんなわけで、旅は終わり、自分の誕生日もあっという間に過ぎていきました。

メッセージをくれたみなさん、ありがとう。

今日は、というと、私は、夜、飛行機で1人遅れている飛行機をまち、夕食は、機内食で、1人ポテチとお水をほおばっていました。誕生日を1人で、こんな風に過ごしたことって今までなかったけど、でも、今までにないくらい、気持ちは、未来に向かって、弾んでいました。この旅が私への最高のプレゼントです。

夜中、帰ってきた私を、日本人の家族の皆さんが(家族だと思っておうちで過ごしてねと言ってくれているので そう呼ばせていただきます☆)「(深夜の帰宅とハードスケジュールだから)すんごい疲れて帰ってくるのかと思ったら、これから旅にでます!ってくらいの様子で生き生きとして元気に帰ってくるからびっくりしたわ・・!」と言ってくれて、自分では気づいてなかったけど、多分今の気持ちが私のオーラになって外に出てるんだろうなと思いました。すごく充実した旅だったのです。そんなこと言われたの久しぶりだから、すごい嬉しかった。

進路に迷ったり、悩んだり、長いトンネルだったけど、27歳になった今、それが終わったんだなということがわかりました。

苦しかった、去年の11月4日の私に、「来年の今頃は笑ってるから絶対大丈夫だよ」と言ってあげたいです。そしてもしこのはないろを詠んでいる人の中に、今、キャリアで苦しいとか、恋愛で苦しいとかそんな気持ちを持っている人がいたら、明けない夜はないから大丈夫だというメッセージを伝えたいです。歩く足をやめなければ、きっとそこに朝は待ってます。

色んな皆さん、ありがとう。

責任

今日はイスラム教のラマダン(断食)の最終日なので、ユニセフも休みだった。色々計画を立てていたのだが、なんか、インドに来てからの疲れがどっぷり出てしまい、一日中ほとんど寝てすごした。そう、思えば、月から金は、張り切って仕事に行ってたし、休日は休日で、早くインドになじもうと、朝から町に出てきょろきょろ動いていたりしたから、ゆっくり朝寝て過ごすってことがまずなかった。だから疲れちゃったみたい。夜更かしをしたせいもあるけれど朝も起きられず、11時ごろのそのそ起きて、ご飯を食べてまた疲れて、また昼寝をして、また5時ごろ起きて・・・という一日を過ごして、ようやく、体の疲れもとれたという感じ。ふぅ。やっぱりお休みは必要だわ。週のど真ん中に今日の休みがあってくれて本当にラッキーだったと思う。朝起きないなんて事がない私をみんなが心配しちゃったよ。ごめんなさい。。。

インドにいると、まじめな話、日常の至るところに「本で読んだ」現実が潜んでいる。今日もふと、仲良くなった人と話をした。彼女はどうみても、30代前半。結婚していて子どもがいるというので、「お子さんは何歳なの??」と聞くと、「20歳よ」という。「え。。えええええ???って◎◎さん、何歳??」って聞くと、35歳。結婚したのは14歳のときなんだって。私が「結婚って楽しい?」って聞くと、「うん、幸せよ」と本当に幸せそうに話していた。彼女にインドの服(サリー)の仕立て方のことを聞いて、その詳しい名前が知りたかったから、スペルを聞こうと思ってメモを出して、「スペルを教えてくれる?」と言ったら、彼女は、字が書けませんでした。無神経なことをしちゃったなあと自己嫌悪になりました。

14歳っていえばだよ、やっと、思春期を迎えたころで、男子達に「ハヤシ~お前胸ねーなーぁ」(うるさい!!)とか言われながら、青いジャージを着て、友だちと寄り道をしながらバレンタインデーはどうするか、そんなことで頭がいっぱいだったころ。そんな時に、自分が「一生の伴侶」として、20歳くらいの兄ちゃんを目の前にいきなり「結婚することになったから」って親に言われたらどんな気持ちになるかなあとふと想像してみたけど、想像できなかった。

彼女の娘さんは今大学生で(高等教育を受けさせている)、親として、結婚を用意したりはしないといいます(つまり、自由な恋愛結婚をしてほしいと思っている)。彼女自身が自分の人生をどう考えているのかはわからないけれど、娘には自分と違った人生を歩ませようとしています。

インドに来て、日常生活で感じるのは、ここには、見えない壁が存在していて、生まれた家の階級で、つける仕事や、結婚相手、食べられるもの、身に着けられるもの、何もかもが決まるということ。カーストは法律で禁止されているけれども、階級は目に見えません。自分より一つ上の階級の人が自分を使い、その自分はそのまた一つ下の階級の人を使うのです。この階級の階段が永遠と続いていくのです。そして、どこにも行き場が無い人が物乞いになります。

2ヶ月先の人生がわからないとか、誰が好きだやれ彼が好きだとか、失恋した滑ったのだとか、就職が決まらないだとか、お金がないだとか、仕事が大変だとか、職場の同僚がどうたらこうたらだとか、私たちは文句や不満はたくさん並べられるけれども、でも、それは、私たちが自分で選んできたこと。わからない人生も、どうしようもない彼氏も、大変な仕事も、自分が選んだことです。そして、変えようと思ったら、何だって変えられるはずです。自分さえ動けば。自分さえ変われば。

幸せと言うのは、人と比べるものではありません。
それでも、幸せだよと笑って言える彼女がまぶしかった。

人生辛いなあと思うこと、悲しいなあと思うこと、あるけど、自分で選んだんだから、自分で責任取れよと、今日は自分にいいたくなりました。そう、そして、何かや誰かと比べて「自分は幸せだ」と思うのじゃなくて、もっと、自分の幸せを絶対的に感じられる心を持ちたいと思うのです。

もうすぐ27歳になる自分への戒めとして。


町の一角。道路左側はスラムです。

意識が人をつくるから

ただいまです。長らく更新滞っててごめんなさい。あきらめずにはないろを訪れてくださった皆様、ありがとう。


私はというと、先週から、メンターのご夫妻とマサチューセッツの西、バークシャー地方(ニューヨーカーとボストニアンの別荘地、日本でいうと軽井沢とか長野みたいな雰囲気)を訪れ、その後NYに滞在して帰ってまいりました。


メンターは、私が心から尊敬する素晴らしいご夫妻で、その方と一緒に過ごさせていただいた一週間、とても平和で、気持ちが浄化されるのと同時に、たっくさんの刺激を受けて、将来への意欲をますます燃やしてボストンに帰ってきたのでした。


今回の1週間の旅で学んだこと、感じたことは、山ほどあるのだけれども、一番大きく響いているのは、人の出すバイブレーション、つまり、オーラ、気の話。この人といるとなんだかしらないけど元気になる とか、この人といると幸せな気分になる というのは、その人が出すオーラによって感じるのだということ。そして、意識が人のオーラとなって、最終的に人をつくるの。人の健康や、スピリチュアルな話、そして、世界平和の話。先生方と話していると、いろんなことが、つながってることがよくわかる。日々を丁寧に生きることが、幸せなオーラを出すことにつながり、そして、それは、周りの人へも影響を与える。だから、一人ひとりが、ハッピーなオーラをだすことがとても大切なんだということを感じたのだよ。


常に、ポジティブで、ハッピーなオーラが出るように、心身ともに健康でいたいなって思ったのでした。


進路に関しても、自分のため だけと思うと、がんばることにも限界があるけれど、大好きな先生のため、そして、応援してくれるみんなのため、ゆくゆくは、助けを待ってくれてる人たちのため、そう思うと、もっともっと頑張れる そう感じるのでした。 


この気持ち、いつまでも持ち続けていようと思う。

本当にありがとうございます、先生方。